覇王共の遁走曲 - 3/7

「あー、なるほど」

まるで他人事といった風に、アルテミスは涼しい顔でうんうんと頷いた。

「そんなにヨーグルト食べたかったならまた買ってきてあげま……」

「そういう問題ではない!」

一喝。

ふたりはもう丘を完全に降り、アテナイの喧騒渦巻く広場を歩いている。道は整備されていて、列柱が並び、あちらこちらに英雄や神々を奉る像が立っている。その間をすり抜ける、本物の神ふたり。市場は活気があった。商店がずらりと並び、ショッピングだけで何時間も楽しめそう。アテナイは巨大な港を持ち、毎日地方から食物や、鉱物や布などが貨物船から揚げられ、ぞくぞくと運び込まれていた。代わりにアテナイからはワインや陶器を輸出をする。一大商業都市だ。

「でもそんなに気に入ってもらえて嬉しいなぁー。イイでしょ、『風果堂』。世界の神々御用達とかで結構大きいチェーン店なんですよ。本店は、えーっと……東アジアの方だったかな? すごい評判で雑誌にもいっぱい特集されてて、SNSでもめっちゃ出てくるし、ずっと食べたかったんですよねー。で、昨日がちょうどギリシア店のオープン日だったんです! これは並んででも買わなきゃって! でも実際私並ぶの嫌いだから行ったの閉店間際で、だから昨日アテナ様ンとこ寄るのがあんなに夜遅くになっちゃったんですよねー。あ、なんなら今から食べに行きますぅ? ここからなら結構近いし……」

「いやその前にあいつをしばく」

手に持つ槍を地面にわなわなと打ちつけるアテナ。アルテミスはにわかに眉を八の字に寄せて口を尖らせる。

「もう! 結局はそれだ! じゃあ、アレス兄さんを捕まえて、叱ってから食べに行く! よし決定! じゃあ次はどうやってアレス兄さんに会うか! って言ってもあのひとはいっつもアテナ様にちょっかい出しに自分から寄ってくるんだから、わざわざ探さなくてもここにいるだけでそのうち出てくるんじゃないですか? 出てきます、寄ってきます! よし決定! そんでアテナ様は気兼ねなく私とのデートを楽しむ! 終了!」

「勝手に終わらせるな!」

「今日のデートプランはアテナ様に話をいっぱい聞いてもらってカフェで朝ごはん食べて可愛いアクセサリーを選んでもらうって決めてるんです! あのねアテナ様、月モチーフのアクセがどうしても欲しくって……実は新しい仕事の話が出てて……」

アルテミスは饒舌にまくしたてるが、不意に、アテナの後ろに視線を投げかける。

アテナが振り向くと、それは工事中の小さな屋根のない舞台。朝っぱらから人間の男達が泡を飛ばして口論しているのが見えた。

「いやあね、大きい声でけんか……」

「ああ、あれ」とアテナは訳知り顔で。「最近毎日だよ、彼ら。あれは建設途中の新しい”弁論場”。何を言い争っていると思う?」

一番後ろの簡素な聴衆席に腰かけると、彼らの罵声が丸聞えだ。

「連中の揉めている件は、あの舞台の高さだよ。この工事を指揮ってる土木屋に、どこぞの有力政治家が『自分は背が低いから舞台をもっと高くしろ』と圧力をかけたようでね。しかしもう肝心のブツは組み終わって塗料まで塗ってたもんだからタチが悪い。懐に賄賂をたんまり貰った棟梁が『もう一回建て直し』の命を出すと、他の政治家一派から始まり建築設計士に石切屋、現場の大工達にこけら落としを楽しみにする市民まで一切合切の大非難」

その有り様があれさ、とアテナは怒鳴りあう男らを一瞥した。

民主制で国を統治するアテナイにおいて、閣僚議員に求められる能力は政治の手腕だけではない。選挙では弁論で被選挙者に政策をアピールして支持を得なければいけないし国会会議でも巧く論ずることができないと自分の意見は聴いて貰えない。演説のテクニックこそが重要なのだ。そのためアテナイでは古くから弁論術の研究が熱心で、弁論大会も非常に盛んだった。そういう意味では、弁論場とはアテナイの街でもっとも『アテナイらしい場所』だと言えるだろう。

「で、アルテミス、なんで私がこの件をこんなに詳しいか知りたくないか?」

「……なんでですかー?」

彼女は興味なさそうに欠伸混じりで返した。

「その献金を受けたの、うちの神殿の関係者で私も知ってるやつなんだ。殿中でえらい噂になってる。もうそろそろ私にお伺いが立てられるだろう、『ああ麗しき我等が守護神アテナ様、事態を収拾するためにはどうしたらいいですか』とな」

「さっさと悪いやつを成敗しちゃったらいいんですよ」

「まあ待て。実は更になんだけど、この一連をもとに劇の脚本を書いてる作家がいるんだ」

「……揉めごとは最大限揉めさせた方が、来春の演劇祭が楽しみだ、と?」

「『急いては事を仕損じる』だ。それに『正義の味方』は最後に登場するものだろう?」

アテナはしたり顔で笑った。

***

「さあ、アレスだ! 私の楽しみを奪った憎いアレス!  私はここだ! 早く出てこーい!」

もてあましぎみの槍を空に突き上げながら、アテナはアテナイの中心で怨み節を叫ぶ。

「ねえアテナ様、もうすっかり決めてかかっておられますけど、これもし犯人がアレス兄さんじゃなかったらどうするんですか?」

「ううんそれはない! アレスに間違いないそう私の勘が告げている!」

やれやれ、とアルテミスは肩をすくめた。そもそも、別の意味で怒らねばならぬだろうに。だってこの素っ頓狂な姉の話をきちんと聞くと、まず犯人は姉の寝床に入っているのだ。女性のベッドルームに忍びこむなど無礼千万甚だしい! しかし今のこのお姉様の思考回路はそんな天地が割れる大問題より楽しみだったヨーグルトをダメにされたことの方がずっと大事らしいので余計なことは言わないでおこうと彼女は決めた。心の中でアルテミスは呟く。なんかちょっとこう、ズレてるのよねえアテナお姉様は……。意外と近視眼的というか、思考回路の回り方がアンバランスというか……。

ふたりはもうあの広場を離れ、再びアテナイの街中をぶらぶら歩いている。アテナの市中見廻りといってもこんなものだ。主人の目を盗んで井戸端会議に花咲かせている奴隷達を脇目で見つつ、日焼け肌の異国人とすれ違いつつ、走り回るねずみを蹴散らしつつ。

「そもそもまず、アレス兄さんはなんでこんなにアテナ様に執着するんでしょうねえ?」

アルテミスはかねてからの疑問を口に出した。すると、今まで威勢の良かったアテナは少し顔を曇らせるではないか。

「……ちょっとややこしいんだよ。そりが合わないとか性格の不一致とか、そんな単純なものでは割り切れないんだ、私達の仲は」

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