大地と海の神。短気だけど面倒見の良い親戚のおじさん。いろんな遊びを教えてくれて、人生経験豊富で、困ったときは一緒に悩んでくれるし助けてくれる。短気だけど。
戦争の神。最高神ゼウスと正妻ヘラの子。思春期に荒れて不良の道に走ったが育ちの良さは隠せない。兄の妻であるアプロディテとの不倫関係、そしてそれを兄に公衆の面前に晒されたことはあまりにも有名。
ポセイドン、晴れた昼下がりに釣り中。浜辺の奥まった所、ゴツゴツとした岩が波に削られて出来た入り江にて。
突然、真横に気配が。横目で見ると、ぶるぶると肩を震わせながら膝を抱えて俯く大柄な男がいる。
「……どうした、アレス」
「…………」
「……泣いてるのか」
「泣いてねぇぇぇ!」
そう叫んで顔を挙げた大男アレスは、目を腫らし、成る程涙こそ今は流していないがその変わりに盛大に鼻水を垂らしている。そして両手を広げて抱きついてくる。
「汚ねぇぇぇ! 寄るなァァァ!」
「うあああああ伯父貴ィィィ!」
「ぎゃああああああ!」
***
「で、どうした」
「うっうっうっ……ポセイドンの伯父貴なら、きっと俺の気持ちを分かってくれると思って……」
ひよこ色のぼさぼさ髪を軍帽からはみ出させた甥っ子アレスは、釣糸を垂らすポセイドンの横にちょこんと体育座りをしてボソボソと呟く。
「だからどうした」
「うううぅぅぅぅ……!」
「早く言え、俺は気が短いんだ」
「ふ……フラれた……! アイツに……!」
「アイツって、アプロディテか」
「ただフラれただけじゃない! プロポーズを受け取ってくれなかったんだ!」
「……そうか」
「俺がこんなに勇気を出してコクったのに……! アイツ、眼をそらして首を傾げて、なんて言ったと思う!?」
「なんて言ったんだ?」
「『今そーゆー気分じゃない』だと……ッッ! うわぁぁぁあ!」
「そんな事くらいでイチイチ泣くな」
「しかもだな、続けて『重いの苦手』だと! 笑いながら言うんだよアイツ! 笑いながら!」
「……なんでお前はその一連の愚痴をわざわざ俺にこぼそうと思ったんだ? 俺が昔ほら、アプロディテとヘパイストスとお前の仲を仲裁したからか?」
「ううん伯父貴『プロポーズ玉砕大王』って聞いてたから」
「やっかましいわこのクソガキがぁぁぁぁぁあ!」
「ミギャァァァァァァァア!」
アレス、ポセイドンのアッパーを受け大きく吹き飛ぶ。
***
「アレス、お前その話誰から聞いた」
「父さんから」
「やっぱりゼウスか……ヒトの過去を吹聴しやがってあンの野郎……」
「……うちの父がすんません」
「ていうかな、アレス。言っておくがな、結婚なんてガキが考えてるほど甘くもヌルくもねぇんだぞ。お前はまだ未婚の自由人だからわかんねえだろうけどな。さあ、見てみろ。コレだ。今俺が何やってるかわかるか?」
「釣り」
「そう、釣りだ。何で俺が釣りをしているかと言うと、だな。わかるか?」
「……シュミ?」
「まあそれもある。でも一番の理由が、『今日の夕飯は海鮮丼したいから具採ってこい』という命令だ。家内の。」
「へぇーいいな、うまそうじゃん海鮮丼」
「ふふん、アンピトリテの飯は世界一旨いぞ! 今度ウチに食いに来るか?」
「マジでぇ!? あざーす!」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……いや、お前を飯に誘いたいんじゃなくてだな……。
アカの他人同士が一緒に住むんだから、気苦労とか遠慮とか妥協とか、常について回る訳だ。俺だってこんなパシりしたかねぇけど、我を通しすぎたら喧嘩になるし喧嘩したら子ども達が嫌な思いをする。家族ってのは『集団』で、何よりも大事なのは『思いやり』だ。ま、そんな事頭で理解しててもアンピトリテも俺も気ィ強いからしょっちゅう夫婦喧嘩するし、いつも子どもらにたしなめられてんのが現実だけどな。それに、結婚したら向こうの家族とも関係ができるんだから、そこでもストレスが発生するんだよ。アンピトリテの実家には頭上がんねーからな俺。肩身狭いよなぁ婿の立場は。海王のくせになぁ。
……お、引いた引いた……なんだ、ゴミか。まったく、俺の海にゴミ流してんじゃねーっつの。マナーの悪い奴らが多くてイヤになる。人間の分際で……。
潮の流れ的にあの島の連中だな……今度折檻しとくか……。
まあこれは置いといてだな、そういうストレスとずっと付き合っていかなきゃならんのだよ。お前にそのくらいの忍耐力と覚悟があるか?」
「…………」
「……おい」
「はっ! ごめん寝てた!」
「シバくぞワレェェェェェェェエ!!」
「はぎゃぁぁぁあぁぁぁあ!!!!」
アレス、ポセイドンのラリアットをもろに受け、海面に落下。
***
「アンピトリテって神格は低いけど、実家は超太いんだよなぁ。俺のこの地位もアイツの家柄あってのもんだしなぁ」
「……ふぁい」
「俺はしょーじき自分の子供を塾に行かせたりピアノだの習字だの習わせんのは乗り気じゃねーんだけどよ、向こうさんがよ、やらせろやらせろ煩いからよ」
「……ふぁい」
「あーあ、ゼウスの野郎を蹴飛ばして俺がオリンポス山の主になれたら気が楽になるんだけどなぁ、あいつテコでも動かねぇしなぁ」
「……ふぁい」
「もっとシャキッとした返事をしろ!」
「ハイッすみませんでありますッ!」
「よぉーし合格だ」
「ありがとうございますでございますッ!」
「そこまで言わんでいい!」
「ヒィッ!」
海から這い上がった時に絡みついた頭に海藻を貼りつかせたひよこ軍神は惨めに縮こまる。
「……あの、伯父貴が奥さんと結婚した経緯って」
「なんだよ急だな、よせやい照れ臭ェ」
「奥さんが粗野で乱暴な伯父貴をあんまり嫌がるから、伯父貴がイルカに変身して迫って油断させて押し倒して子ども作って既成事実を利用して結婚まで無理矢理こじつけたっていう……」
「…………」
「?」
「……大体見当つくんだがオジサンに確認させてくれ。その話は誰から聞いたのかな」
「父さんから」
「お前の父さんに、近いうちにお礼参りに行くから覚悟しとけって伝えといてくれ」
「……はい」
「それから、俺は確かにイルカを利用したりもしたけど、最終的には正々堂々口説いて、アイツの合意の上で結婚したからな」
「……はい」
「それに、お前の父さんみたいに動物に変身して女を襲うような卑怯な真似、俺はしないからな」
「えっ? じゃあデメテル様の件は? 馬に化けてナントカとか」
「おまっっ……! お前どこまで知ってやがる!」
「ぎゃぼべっ! これは母さんから! 母さんから聞いた!」
「あの口軽夫婦めェェェェェエ!」
「みゃああああああぁぁああ!」
アレス、ポセイドンのフランケンシュタイナーにより3度宙に浮く。
***
「俺もお前に聞きたいことあるんだが、アレス」
「何?」
たった今地面に落ちて受けた傷にさっきの海藻がくっついてヒリヒリするらしく、アレスは再び涙目になっている。
「アプロディテと、あのチビ坊主。一体なんなんだあの二人は」
「チビ坊主……。ああ、エロスか。勿論本物の母子じゃねぇよ。伯父貴も知ってんるだろ、エロスは原初神で、俺達オリンポス神族が生まれるよりずっと昔からいるやつだよ。なんでかガキの姿してんけどな」
「なんでアプロディテがエロスの母親ぶってるんだ。そんでなんでエロスはアプロディテの子どもぶってるんだ」
「知らん。ようわからん。一応俺もエロスの『パパ』のポジションらしいんだけどな。でもムカつくんだよ聞いてくれよっ! エロスのやつ、呼び名、俺の事は『パパちゃん』でヘパイストスの兄貴は『ヘパちゃん』なんだよ! 一音しか違わねーよ! 絶対俺をパパなんて思ってねーよあのガキ! バカにしやがって!」
「そりゃお前馬鹿だからなぁ」
「そうなんだよ俺バカだからしょーがねーんだよ……。
……しょーがなくねーよぉぉぉ!」
「あともうひとつ聞きたい。アレスお前、なんで向いてないのに戦争の神なんてやってんだ?」
「向いてなくなんかねーよぉぉぉ! 俺超頑張ってるもん! 好きだし! 血とか!」
「そのわりに自分が怪我したら顔色変えて弱音吐くよな」
「うんだって痛いもん」
「……お前、路線変えた方が絶対いいわ」
「うっっ……!」
「そんでナイーブすぎるとこも治せよ」
「『自分の痛みに敏感なひとは他人の痛みにも敏感になれるから優しくなれる』って母さんが言ってた」
「……やっぱお前馬鹿すぎて向いてないわ、軍神。男勝りのアテナお嬢ちゃんがしっかりやってるから、お前いらねーんじゃねぇの? 違うことしろ、ほらもっと、自分の適性に向いた仕事を探してみろ、職安とかで──」
「アテナ?」
その名前にアレスは今までショボショボしていた目を一気に輝かせた。
「……あああー! そうだあの女の事すっかり忘れてた! アイツに罠を仕掛けてたんだ! 引っ掛かったかどうか確認しに行かないと!」
「……罠ァ?」
「そうさ、鼻持ちならないあの女、俺は常に攻撃の手を緩めない! 俺は今朝きゃつが寝ている間に恐ろしい作戦を決行した! 聞いてくれるか伯父貴!?」
「はいはい聞きますよ」
「アイツが今日のオヤツにって楽しみに取り置きしてるちょっとお高めのフルーツヨーグルト、奴がまだ寝てる間に冷蔵庫から出して、日の当たる窓際にわざと置いておいてやったんだ……! 封を開けてな……! 今頃きっと傷んだヨーグルトを食って、アイツ……! フフフ、フハハハハハ! 苦しむアイツの横で俺はプリンを食べるのさ! 俺はヨーグルトよりプリン派だからなぁ! ハーッハハハハハハハ!」
「…………」
「伯父貴、邪魔したな! プリン買って帰るわ! ひゃははは!」
「…………」
へばりつく海藻を足元に叩きつけて、アレスは笑い声を残して一目散に走り去っていった。
***
ポセイドン、釣り中。
「まあ何となくわかるわな……そりゃアレとの結婚ならちょっと考えるわなぁ、アプロディテさんよ……」
独りごちる声が波の音にかき消える。
「……全然釣れねぇ……」