覇王共の遁走曲 - 1/7

アテナ
都市の守護神。知恵、工芸、そして戦いの女神。ゼウスの頭蓋から甲冑をまとって産まれた。明らかにチートな宇宙一の優等生だがそれなりに葛藤もあるお年頃。
アレス
戦争の神。同じ父を持ち自分とキャラがかぶるアテナに対してライバル意識が非ッ常~~~~に強い。
ポセイドン
アテナにとってポセイドンおじさんは宿命のライバルなのだがポセイドンおじさんにとってアテナは自分にまとわりついてくる姪っ子である。そしてポセイドンおじさんは姪に対しても容赦しない。
アルテミス
狩猟の女神。皆のアイドル。男性に対して潔癖なきらいがあり、自分と同様男との関係を拒否するアテナを『お姉様』と呼び慕っている。アポロンとは双子の仲。
ヘルメス
伝令神なのでどこにでも現れる。
イリス
虹の女神。ヘルメスの同僚。
エロス
愛の神。ちっちゃい。
ゼピュロス
風の神。いつもぶらぶらしている。
ヘリオス
太陽の神。ゴシップが好き。
アテナイの市民達
アテナのことが皆大好き。

 

エーゲ海の覇者、オリンポス神族の女神・アテナの朝は早い。太陽が昇ると同時に起床するのが日課だ。その日も彼女は、地上に日が射す瞬間に目覚めた。夜露も乾かぬうち、ギリシアの空、山、海が徐々に照らされその原始の威容を見せつける頃である。美しい女神は紫がかった深い青色の瞳を開け、細くて真っ直ぐな金髪を揺らしながらゆっくりと身を起こす。真っ白のベッドから出て銀の洗面器にキンと冷えた水を張り顔を洗うと、まどろみから抜け出たばかりのその表情はみるみる引き締まり、”女だてらの武神”の顔つきに変化する。

そのまま歯を磨き、鏡の前でショートカットを櫛で軽く梳かして薄く化粧をする。白い肌はより白くなり、涼しい目元はより涼しくなった。服を着替え、一度ソファに腰かけて人心地ついて、ダイニングへ移り朝食を取ろうと冷蔵庫を開けた、その時だ。

「……ない」

1日の最初に口にした言葉が『ない』。しまった、もっと爽やかな言葉を言えば良かった! 彼女はこういう妙に細かい所を気にする。

いや、それどころではない。これは緊急事態だ。

「……私のフルーツヨーグルトはどこだ!?」

白亜の処女宮パルテノン神殿から、神の絶叫が轟いた。

***

フルーツヨーグルトのゆくえはすぐに判明した。ダイニングテーブルの上に鎮座する小さな瓶カップを見つけ、アテナはまるで宝箱を手に入れた子どものように目をキラキラさせ、次の瞬間まるでその宝箱が空だった子どものように目を血走らせた。

ヨーグルトのフタが、開いている。

そしてその女神の至宝の中にお出でますのは、窓の外から連なるアリの大行列。「ぎゃああああああ!!」

今朝二度目の咆哮に、流石に心配になった侍女だの巫女だの神官だのが扉を思いっきり叩いた。

「何でもない! 何でもないから! いいから!」

危ない! この誉れ高きアテナがたかがヨーグルト1つで朝から取り乱しているなどと悟られては面目が丸潰れではないか!

……いや、『たかが』と形容するべき一品ではなかった。このヨーグルトは、このヨーグルトは……!

***

――昨晩、アルテミスがアテナの自室に訪れた。彼女はアテナによく懐き、またアテナもよく可愛がっている妹分だ。昨日も月の光に紛れていきなりベランダに現れ、

“甘いお菓子が苦手なアテナ様も、これなら食べれるかなって思って”

と、少し大きな箱を袋にいれて持ってきて、自分は動物の夜の散歩があるからまた明日、と早々に帰っていった。

彼女が置いていった箱の中には、色とりどりの生菓子。

確かにアテナは甘ったるい食べ物はあまり好きではなく、普段から滅多に食さなかった。しかし折角のアルテミスの心意気。それに箱には『なまものは本日中に御召し上がりください』の文字。夜も程々に更け日記をしたためていたところだったが、アテナはこっそり、ひとりでこの夜食を楽しむ事にした。

(だってもう、うちの神殿の職員達も寝所に入る時間だし!)

(だって『本日中』って書いてあるし!)

そう心に唱えながら。

ひとつめ。ミント添えチョコレートムース。

………美味である!

ふたつめ。木苺とクランベリーと山桃のタルト。

……美味である!!

みっつめ。レモン果汁とオレンジピール入りチーズケーキ。

……美味である!!!!

普段食べないケーキに夢中になり、箱の中はいつの間にかフルーツたっぷりの瓶詰めヨーグルトだけ。

(発酵食品なら……明日までもつかもしれない……!)

アテナは不屈の精神で食指をとどめ、冷蔵庫の中にしまった。

翌日の、朝ごはんに、しよう、と……!

***

そんな、そんな大事なヨーグルトだったのに! いや、大地を耕し肥やす小さきものが子を育て繁殖させるためにこれをせっせを巣に運んでいる。なんといとおしい。それで十分ではないか慈悲の心を見せろアテナ!

……やっぱ無理ィ! ものすっごい恨めしい!

彼女は胸のうちに宿る阿修羅をクールダウンさせ、外出の用意をしながら冷静に考える。下々の者がここに入ることは出来ない。しかし自分でやった覚えはない。とすると、私に悪意を持つ誰かが部屋に忍び込んだということか。これでも戦の神、買った恨みなど星の数より勝るわ……などと考えながら簡易な鎧をつけ兜をかぶり、部屋に立て掛けてある槍を手に取った瞬間、アテナは思い至った。きっとアイツだ。金髪ボサボサ髪が軍帽からはみ出た、図体と態度だけはデカいあの愚弟。四六時中私にちょっかいかけてくるアイツ、私のケーキを食べてる姿とヨーグルトを冷蔵庫にしまう瞬間を外からこっそり見ていたのだ! そして私が就寝したら忍び込んで、わざと目に見える形で食べれなくしてしまう、なんと嫌らしい計画だ! そういえばあの蟻は紛れもなく窓から侵入していた、私はいつも鍵をかけて寝ているのに! これはきっとアイツが入り込んだ跡だ! 空巣のような手管で外からロックを解除したのだ! きっとそうに違いない! 多分! ううん絶対!

「あンのアレス……! あな恨めしやぁぁぁあ!」

アテナの最大の特徴、それが『直情・短気・猛進』。

長い1日が始まった。