覇王共の遁走曲 - 7/7

「いきなり暴力とはどういう事だ! お前の親父にチクるぞ!」

「なら私もお前の弟にチクるぞ! 『海神様が弱い者いじめしてました目撃者もいます』ってな!」

人差し指でポセイドンを差しながらふんぞり返るアテナを、ポセイドンは真剣に問うた。「……だから、何だそれ」

「ヘリオスから聞いた。アレスをボッコボコにリンチしてた、とな!」

「………………。

ああ、あれか……」

さっきここを訪れて、ひとりで喚いてひとりで泣いてひとりで嘆いてひとりで立ち直って去っていった甥の姿がフラッシュバックされる。途端に片手で頭を抱えるポセイドンを尻目にアテナはここぞとばかりに捲し立てた。

「ほら心当たりがあるのだろう!? いかん、いかんぞポセイドン! 例えこの場がヤツとふたりきりだったとしても、後ろ暗い事は必ずバレる! 誰かが見ている、覗いてる! だめ、絶対! 今度アレスをいじめたらこの私が許さんからな! そういう私もアレスを説教するために今朝からずっと追い掛けてるんだが! さて奴はどこへ行った!? アイツを折檻していいのは私だけだ!」

「おいゼウス……お前のガキは何でこう『変なの』ばっかなんだ……」

「誰が『変なの』だ! アレスはな、なんだっけ、とにかくちょっと腹立つことしたんだよ私に! えーと、なんだったっけ、ほら、なんだったっけ、えーと! あ、そうそうヨーグルト! すんげームカつくことされたんだ! さあポセイドン教えろ! アレスはどこだ!?」

ポセイドンは再び座り、釣糸に餌をつけながら言った。「プリンをお求めに行かれましたよ!」

「プリン? どこに買いに行ったんだ!?」

「ご自分でお考え下さいッ!」

逆ギレ気味に一喝されると、アテナは腕を組み数秒固まり考えた挙げ句、「もういい!」と短く叫んで再び走り出した。

「『もういい』のはこっちの台詞だ! お前らのせいでボーズじゃねえか! 家に帰れねえ!」

さっきからの騒ぎのせいで魚が一様に寄りつかなくなった入り江に、ポセイドンの悲痛な叫びが谺した。

***

アテナが街に戻ると、もう辺りは日が陰り薄暗くなっていた。ヘリオスの運ぶ太陽はすっかり上空を通り過ぎてしまったらしい。

(プリン……プリン……)

甘いものを自ら求めないアテナは、そういった店がどこにあるか知らない。

(アルテミスに聞けばすぐわかるんだろうが……。もういい、帰ってうちの神殿のミーハーな職員達にでも聞こう。疲れた)

さすがのアテナも、一日中動き回ってクタクタだった。

神殿へと帰る道。朝にアルテミスと通った大通りを今度はひとりで歩く。朝と違って街はだいぶ暗い。女子どもの姿はもうなく、宴会でも催すのか、男どもが連れ立って歩いている。

ふと、あの工事中の弁論場はどうなっているか気になった。

朝、わいのわいの騒いでいた人間達は、この時間にはもういなかった。代わりに、朝にはセッティングされていなかった女神アテナ(つまり彼女自身)の像やゼウス像が舞台の回りに並べられていた。そして意外にも、一番前の聴衆席にひとりぼっち座っている影がある。

ゆっくり近づくと、その影は背が高く、男性で、帽子をかぶっている。色はもうよく見えないのだが、それよりも気になるのはそこから漂う甘ったるい匂い。

その席の真横に気配を消して立ってやると、その影は自身の被る帽子で見えていないようで、その甘い香りの物体を、つるん、つるんと旨そうに味わいながら食べている。

その者の席の横に無造作に置かれている箱にくっきりと書かれている文字。

“風果堂 なまものは本日中に御召し上がりください”

その時、影が唐突に口を開いた。

「確かに甘さは控え目だけど、いい卵と牛乳使ってんなーこれ」

アテナはもう我慢できなくなり、そのひとりごちる影の大きな肩をトントン、と叩いた。

「んあ?」

「おはよう、アレス」

「…………」

「…………」

「私のヨーグルト、どこだ?」

「…………」

影は、肩に置かれたアテナの手の尋常ではない強烈な圧力に恐れをなして逃げられず、ただスプーンを動かす手を止め、口の中の甘味を全て飲み込んで、蚊の鳴くような声で呟いた。

「…………もう、売り切れだったから……」

***

本日夕方、『謎の天災』により工事中の『あの』弁論大会の舞台が大破した、とのニュースは夜にはもうアテナイ人の格好の噂になっていた。やはりあいつがやったのだ、とか、いやいやあいつの敵が仕組んであいつに罪をかぶせるつもりだ、とか、はたまたアテナイに忍び込んだスパルタ人のテロだとか、女神の像の鼻を低く造りすぎた罰だとか、様々な憶測が飛び交っては酒のツマミと共に消えていった。割りを食った人間は沢山いるが、実を言うと一番残念がったのはこれをネタに本を書いていた劇作家で、これでは『オチ』のつけようがないとショックがってパルテノンに向かって恨み節を唱え始める始末。

真実は、神様だけが知っている。

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