いきなりの風圧に目を瞑り、「着いたぞ」のゼピュロスの言葉に瞼を開けると、そこには光の塊・太陽。そしてそれを引く馬車が。
「お? おお!?」
「サングラスをかけさせてもらったぞ、アテナよ。『あれ』を直視すると目が傷むからな」
確かに顔には色眼鏡がかかっている。振り向くと、どうやら飛行中に脱げたらしい自分の兜を、同じくグラスを掛けたゼピュロスが片手で持っていた。今アテナはゼピュロスの力で空に浮いている。風に抱えられているようだった。
「あれ~? アテナ~! よく来たねぇ!」
そして御者台で、枯れ木のような手を叩きながら快活な嗄れ声を上げるのが、太陽神ヘリオスだった。
「ご無沙汰しております、ヘリオス様!」
「よせやい『様』だなんてくすぐってェ! お前らよかちょっとばかり長生きなだけだぁよ。ほらここに乗れィ。『太陽の馬車』は意外とスピードあるからお前ら置いてっちゃうぜぃ」
禿げ上がった頭を撫で、皺だらけの顔をくしゃくしゃにして老人は、大きく笑った。眼鏡を額に乗せている。その瞳は真っ白に色落ちてしまっていた。ただし盲いている様ではなく、宙で併走するアテナとゼピュロスが御者台に乗れるようにテキパキとスペースを空けてくれた。「いやあ、ようきた、ようきた」と呟きながら座布団を並べ、座れ、座れ、と指をさす。アテナはせっかくの歓待なので遠慮なく着席した。太陽神が喜ぶのも無理はない、こんな上空に遊びに来る者は限られるのだ。ヘリオスはそれは嬉しそうだった。
ごうごうと風音が吹きすさぶ中、ヘリオスはそれに負けない大声でしゃべりだした。「俺ももう引退すっから! もうすぐ! で、アルテミスに跡継がせるんよ!」
「はいぃ!?」老いた者の話の始まり方は唐突で脈絡がない。ゼピュロスがつかさずフォローに入る。「爺さん、それフラれたんじゃん! アルテミスじゃなくてアポロンのやつが引き継ぐって!」
「嫌じゃい! 俺ァ教えるなら女の子の方がええんじゃい!」
「下心が透けてンだよ……」
吐き捨てるようにゼピュロスが呻く。そんな彼の呟きにかぶさってヘリオスはおしゃべりが止まらない。「アテナも俺の仕事の見学にきたんじゃろう!? ゼピュロスに連れてきてもろうて」
「え!?」
「らくちんな仕事よ、ただし休みが無いのが困ったところ! こう、太陽の球をまっすぐ運ぶだけ! カテゴリー的には長距離ドライバーじゃな! 誰にも叱られんし、人の目気にせんでええし、こうやって走っとったら遊び相手も来てくれるし!」
と、ゼピュロスの肩を思いっきりバシバシ叩く。どうやら老人はアテナの訪問を勘違いしているようだった。喜色満面である。
「え、ええと、ヘリオス様、私は弟子入りするつもりはなくて……」
「ええ~!? 権能増やしちゃおうよ~!? 優しく教えるし~!」
「気軽に言わないでください! 私があなたを訪れた理由は、ひと捜しをしているからです!」
アテナはやっと言い切った。背後にある光の球と、それを反射するヘリオスの禿げ頭でサングラスをかけていても目が焼かれそうで、まぶたをパシパシ開閉させながら。
「アレスを捜しているんだ。私の弟。ヘリオス様ならご存知かと!」
ヘリオスは一瞬固まり――如何にも好好爺といった風に目を輝かせ、ニヤリと口の端を歪めて笑った。
「知ってる、知ってるよ。ここから見えた。俺は何でも知ってるぞ」
「教えてくれ!」
「南の港、そこの東の端から歩いた岩場と岩場の間だ。昼過ぎに見た。今日は雲が少ないからよく見えた」
「ありがとう! じゃあ……」
「待たんか、ジジイの話は最後まで聞け。老人は皆寂しん坊なんだからな」
すぐ様飛び出して行きそうなアテナをヘリオスはやんわり諫めた。
「海神ポセイドンと一緒におった。ただ……アレスの坊ちゃん、えらい殴り飛ばされとったわ」
「……はあ?」
「フッ」と、それまで黙っていたゼピュロスが突然噴き出した。
「一方的にタコ殴りよ! ポセイドンも手加減ねえのなぁ! 今頃坊やの綺麗な顔が怒ったフグみたいになってんじゃねえか? さて、なんぞ悪さでもしたんかねえ」
「……アレスが、ポセイドンに……?」
「いやぁあれはビックリしたねぇ~」
ケラケラ笑うヘリオスを尻目に唇を戦慄かせるアテナ、いきなり彼に頭をペコリと下げ、ゼピュロスから兜を奪いかぶって、「連れてってくれ!」と叫んだ。
***
やっとポセイドンの元に辿り着いた時間はもう昼過ぎだった。
「……ポ……ポセ……」
「あ? おう、嬢ちゃんじゃねえか、どうした?」
そこには暢気に釣糸を海に垂らす海神の姿のみ。
「今日は甥だの姪だのよく見る日だな。……ん? どうした」
息を整えたアテナは地べたに胡座をかいている彼から間合いを十分に取り、今の今まで手にもてあましていたその槍をゆっくり構えた。
「よくも……よくもアレスに……! おのれぇぇポセイドンのくせにぃぃい!」
「うぉおおおお! 何の話だぁぁぁ!」
「弟の仇じゃああああ!」
本気で踏み込んでくる戦神に本気で戸惑う海神は、取り敢えず立ち上がって釣り竿を即席の得物に見立てて彼女の一撃を軽くかわして、それは槍だから一突きを避けると相手に大きな隙が生まれるからポセイドンはそこを狙いアテナの手首でも引っ付かんでやろうと間合いを詰めると、彼女は寄ってきた彼を反対に懐に引き付けて、伸びきった腕を振り上げて――
「たぁあ!」
ポセイドンの頭頂にエルボー!「ぐぎゃッッ!」
そして長槍の柄を旋回させてうずくまる彼の腹に思いっきりぶつけて、そのまま力ずくで――残念ながら彼は今どこで彼女の襲撃を受けているのか失念していた――間際の海に押し出した。入り江にぼっちゃんと響く間抜けな音。
「フ……。勝った……」
「この怪力じゃじゃ馬がァ!」
海の神でありアテナの喧嘩友達は直ぐ様ザブンと水面から飛び上がって彼女の兜の上からゴゥンと拳骨を振り下ろした。

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