アリアドネの戴冠式 - 2/4

「アリアドネ、何を大切に持っているの?」

柔らかい声が後ろから聞こえ、急いでアリアドネはその物を隠した。後ろめたい物だから。見せたら、そしてこれを未だに持ってると知ったら、きっとこのひとは怒るから。

「……何でもないわ」

振り向くと、興味津々といった風情の彼のにこにこ顔が触れそうなくらい間近にあった。彼女は飛び上がりそうなくらい驚き、頭上で結った黒髪を振り乱してそれを隠す。

「何でもないことはないよ、何を隠したの? 見せて」

「駄目、だーめー」

手を伸ばされ奪われそうになり、必死でそれを守る。ふざけてるふりをしながら、内心は本気で焦っていた。

「なんだよう、意地悪」

彼は伸ばした手を引っ込め、ぶうっと頬を膨らませてしまった。

「ごめんなさい。……さっき、ワイングラス割っちゃったの。ごめんね」

彼は目をパチクリ瞬きして、更に頬を、まるで威嚇する魚のように膨らませた。

「……ふっ! ふははは! やだ酷い顔よディオニュソス!」

「隠し事する子にはお仕置き! わき腹くすぐりの刑!」

「やーだー! あっはははは、あははははは!」

お腹の底から笑いながらも、うしろ暗い気持ちは拭えなかった。

ごめんなさい。

***

何故運命の賽がこんな妙な所にまで転がってしまったのか、アリアドネ自身全く理解できていなかった。彼女は『赤い糸』で結ばれたテセウスと共にアテナイ国へ凱旋し、彼と結婚して幸せな妃になる筈だった。しかし何の悪戯か悪い冗談か、クレタを出てまもなくアリアドネは船から降ろされてこの無人島に独り置き去りにされてしまったのだ。

客観的に見れば、捨てられた、という事になるだろう。しかし当の本人にとって事実はなかなか受け入れ難いものだ。

最初の晩、彼女は呆然としていた。

次の晩、彼女は全てを悟り、泣いた。

更に次の晩、彼女は涙を枯らし、命を絶とうとした。

嫁ぐために祖国を出たのだから今更親元へは帰れない。そもそも帰る術がない。帰る術を考える前に3日間の空腹と失恋からの絶望で頭がおかしくなっている。

(もういい、死のう)

高い崖に登り、そこから海の藻屑となってやる。そしてテセウスの船を捜すのよ──

「駄目だよ」

足を踏み出そうとしたその時、突然現れ声をかけたのが、この陽気な酒神ディオニュソスだった。

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