ヘパイストスの仕事場は狭くていつも薄暗く、不思議な形をした機材や工具がぐっちゃり並べられていた。彼の者の肩書と担当領域は実に多くて広い。鍛冶屋にして生物学者にして機械工学者。そして根っからの研究者肌。これらが相まって、彼の『仕事場』は一大ものづくり複合研究施設と化している。
しかし子どもからすれば「おもちゃ箱みたい!」。ややこしい話などお構い無し。
「ヘパちゃんこれ何ぃ?」「それは触っちゃダメ。腕がちょん切れますよ」
「ヘパちゃんこれちょうだい!」「それもダメ。てゆーかハンダゴテなんか持って帰ってどうするんですか」
「ヘパちゃんあのお車乗りたい!」「あれは車じゃないの。それに君の足の長さじゃ操作できません」
「ヘパちゃんかくれんぼしよう!」「こら!ケガしたらどうするの! ママに怒られますよ!」
こんな具合。
ヘパイストスにとってエロスは前妻の息子なので複雑なところなのだが、やはり子どもに好かれて嫌な気はしないから、この子が来たら危険な用具をしまって、あとは自由に遊ばせてやるのがいつもの決まりだった。
「さーて大遅刻の言い訳を聞きましょうか」
今日もいつも通り、エロスが手を伸ばしかける糸鋸だの金槌だのを片っ端から取り上げて棚に突っ込みながら、ヘルメス少年に問い質すヘパイストス。彼は朝からずっとこの年の離れた義弟の訪問を待っていたのだった。
カチャン
と、彼が足を一踏みするだけで金属音が鳴る。この神は、神なのに両足が義肢だった。正確には足全てが機械なのではなく、動かない部位に機械を埋め込んで運動をサポートしている。だから一見すると彼の足は義足には見えないのだが、踵とか足首とか足指の関節とか、部分部分に金属を組み入れているためにそこから例のあの音がするのだった。
もっとも、医学に精通した兄弟もいるんだし、なにせかのヘパイストス神、治す手立てだってもっといいケアの方法だって幾らでもある。しかし彼はこんなカチャカチャと音のうるさい粗末な処置を、敢えて自ら施しているようだった。まるで、この世界の不死たる統治者・神族のくせに、己が肉体の欠損をわざと誇示しているように。
それに加え、ヘパイストスは、華々しい他の美形な親兄弟達と並ぶと元々たいした器量でもない。背丈は低い。体型もスマートでない。服装だって不恰好、夏でも冬でもいつも暗い色の服を何枚も着こみ大きな色つき眼鏡をつけていて、それはさながら生身の柔い身体を簑で防御している冬の虫。
そんなヘパイストスとは正反対、タンクトップにハーフパンツという『夏休みルック』のヘルメスは、手近な丸イスを引いてきて勝手に腰かけて、曰く。
「俺は悪くないんだよ! まあまず聞いてくれ! 俺は朝早速ここに来ようとしてたんだ。ところが! あの年中ゴキゲンなお父様に出会ってしまってだね、俺はヘパ兄のとこに用があるから急いでるっつったんだけど、聞いてくれるタマじゃないじゃないかあの親父殿は! 俺にくっついてきてはアイスクリーム食べに行こうだの服買いに行こうだの女の子ナンパしに行こうだのコリントスのベーベちゃんとこ連れてけだのデロスのゼーゼちゃんとこ連れてけだのクレタのネーネちゃんとこ」
「あーもういいですわかりました」
唐突に話を切られ、不満そうに口を尖らせる少年。「で、何とかオヤジを撒いたら今度はエロスに捕まっちまったという話! おしまい!」
「まあいいんですけどね、今回は時間指定がなかったから。今日の『おつかい』はこれ、ヘスティア様に宅配便。修理依頼品が直りました、とだけ言えばわかるはずです。送料は向こうに貰ってください」
一通り片付けの終わったヘパイストスは、ひとつの小さな箱を持ち出してきてヘルメスに渡し、自分もイスに座った。カチャン。音が鳴る。日常生活に支障はないが、他人よりかは若干動きが遅い。しかし彼は自分の足のことで他人に気遣われる事を何よりも嫌い、そして周囲の者もそれを知っていた。だから特にいたわらないでおいてやる。今日の来客、ヘルメスもそう。手は貸さない。彼のプライドを傷つけてしまうから。
「中身何?」と、ヘパイストスが音を鳴らしながら動き回る中、すっかりくつろいだ風のヘルメスは軽い調子で訊いた。人懐っこいこの少年は、気難し屋のヘパイストスにも気負いなく接することができる。
「それはプライバシーのため黙秘。ただし天地は無用、割れ物ではありません」
「了解」
こんな風に『お仕事』を命じられて飛び回るのがヘルメスの仕事。彼はニカッと笑って肩から提げたショルダーバッグにそれを入れ、携帯式連絡ツールを取り出してメールを打ち始めた。「えーと、ヘスティア様のアドレスどれだっけ……」と呟きながら。存外仕事熱心なのである。
そして、オリンポス神族の持つ機器は全てヘパイストスの作である。電化製品だけでなく、建築物、武器防具。彼の発明品は枚挙するときりがない。人間の女性ですら、彼の『作品』と噂されている。もはや何でも屋だ。
「……ねぇヘパちゃん」
ヘルメスが業務連絡をしている間、ちょんちょんっと肩をつっつかれる感触にヘパイストスが後ろを振り返ると、それまでひとり遊びをしていたエロスがにこにこしながらぴったりくっついてきた。小さな手でヘパイストスの汚れた上衣を引っ張ってもじもじしながら曰く、「ねぇ、ぼくがここに来た理由は聞いてくれないんでしゅか?」と。
「……あんたは遊びにきただけでしょうが」
こう彼が呆れ気味に言うと、エロス坊やは胸を精一杯そらして言った。「今日はヘパちゃんに『あのお話』を聞きに来たんでしゅ!」
「……またですか」
「え? なに? 何の話してんの?」
そう聞くと黙って携帯をいじっていられないのがお喋り筆頭のヘルメス。そしてエロスはヘルメスの膝に座って、煽るように足をぱたぱたさせながらねだる。「おはなし! おはなし!」
「なに!? ちょー気になる! 俺も聞きたい!」
エロスどころかヘルメスまで乗ってきたか。『この話』は何回披露したか数知れないだろうに。ヘパイストスは、やれやれと頷きながら、勿体ぶった口調でふたりを惑わすように、ゆっくり話し出した。
「昔々、大都市アテナイがまだ少し小さい国だった頃のお話です――

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