「あの子は昔ッから要領が悪いのぉ!」
既に空になったジョッキを脇にどけ、店員に指でおかわりを頼むデメテル。次に来たのはカンパリ。女二人の酒はよくすすむ。何せ、女同士なのだ。この場にはあれこれ気を遣うべき存在、男はいない。哀しいかな、女は同じ女性といる時にこそ最も女としての意識を忘却してしまう存在である。
「例えばさ、あたしが林檎むくじゃん? で、8等分して兄弟の前に出すじゃん? あの時兄弟は全部で4人じゃん、ほらヘラは離れて暮らしててゼウスのチビはまだいなかった時期ね! ハデスは、絶対に、1切れしか、食べないの! いっつも! 2切れめは絶対に他のやつに奪われてんの! あたしちゃんとわけてやってんのに! 『食えよ』って言ってんのに!」
「じゃあ林檎を余分に食べてたのは誰?」
「ヘスティア姉さんよ! あのひとは要領が良すぎんだ! じゃんけんで負けてても勝ったふりしてんだから!」
カンパリの次はモスコミュール。カクテルをどんどん煽るデメテル。「ペース速くない?」と心配するヘカテに「こんな甘い酒ジュースみたいなもんよ」と軽く返す。ヘカテはというと、浮気はせずにやはりビールを順調に消化中。彼女は酒さえあれば食べ物はあまりいらない質らしい。
「なんでもそう。いっつも損してんのに顔には一切出さないの。昔からよ。何食べたいか聞いても『何でもいい』。何欲しいか聞いても『欲しいものはない』。そういう子だったの」
「ハデス様ァ?」
デメテルは口にチキンを頬張りながら大きく縦に首を振って、また酒を旨そうに、一口。
「ハデスはねー、妙に『傍観する子』だった。いつも一歩ひいてるの。でしゃばらないし、分をわきまえてるっちゃあそうなんだけど。でもそういうとこが可愛気なくて、ムカつくのよ。
――本当は誰よりも我儘で強情な癖にね」
「……まーたうちの上司の批判が始まるのかしら」
酒場のぬるい空気にまとわりつかれた女ふたりは、椅子の背にもたれながら互いにため息をつき合った。
相変わらず客は自分達以外にいない。接客していた店員も、もう声がかかるまでは厨房に引っ込んでいる有り様。どのくらい繁盛しているのかヘカテは聞きたくなったが、不躾なのでやめておいた。まあ潰れる事はあるまい、『神様御用達の居酒屋』だ、もっと格上の神族をはじめ金払いの良い上客なんてたくさんいるんだろう。
「……ほンっとにさぁ……アレなのよ……アレ……そう、小賢しいのよ、ハデスは」
「ふん」
「相談もせずに、勝手にさ。しかもあんな、あんな風にされたら、あたしが一歩引くしかないじゃない」
何を言っているかさっぱりわからない。でもヘカテは、どうせハデスとペルセポネの件を蒸し返してぐちゃぐちゃ不満を並べてるんだろうと推測して、気の抜けた返事をするのみ。「そーよね、そーだと思う。うん。汚れたお皿どけるわよ」
「でもねヘカテ、あの娘ら、仲良くやってんでしょ? ちゃんと『夫婦生活』やってんでしょう? 偉いじゃない。お母さんはぁ、偉いと思う。うん」
「そうよ、ちゃんとやってるよォ、ふたりとも。ほらそこ溢してる、拭いて」
「あんまり誉めるんじゃないよ!」と、彼女の方から言い出した賛美を今度は否定する始末。「そうよ誰もがあいつらを誉めるのよ、そんであたしが悪役なのよ、いつも! いっつも! ふたりの仲を裂くヒステリックな姑様なの、あたしがね!」
赤ら顔のヘカテは、同じく赤い顔のデメテルの手元のアルコールの残りを、続いて自分の手首の腕時計をちらと見ては、やはり首を軽く振って適当に頷く。
「あの娘達の誉め言葉なんか、いらない。あたしはいらない。いらない。聞きたくない。あー、もう無理。やだやだ、あー……」
夜はとうに更けている。日付が変わって久しい頃。明日は一応まる一日オフ、だから時間に制限はない。女ふたりの飲み会は、早く切り上げる時もあるけど、深夜や早朝までだらだら遊んでいる時も多々あるものだった。
(そして深夜に道でふらついてる時に人間に見つかったら、ショック死するんじゃないかってくらい驚かれるんだよねー……。『丑三つ時の魔女が出た』とか何とか。そして『あの三叉路に出た』って風評、でしょ? ったく、ひどいわひとを化け物みたいに)
ヘカテは、自分が人間から、神の身分とはまた違う方面で恐れられている事を知っている。そんなに魔術使いが気持ち悪いかしら、そんなに毒薬使いが嫌かしら……!? この誇らしいキャリアのせいで生けとし生けるものに好かれる事など殆んどない! 彼女の口から漏れるのは、誰も及び知らぬ溜め息ばかり。
その正面、ペルセポネの母は母で、チープな椅子の背凭れに体重を預け、オレンジ色の電灯の点る天井を見上げて低くうめいていた。
「嫌な母親になっちゃったな。そしてヤな姉だわ。いつのまにこんなになっちゃったんだろう……。あのさぁ、ヘカテ、」
呼ばれた彼女が前を向くと、デメテルは気だるげに肘をついて目と頬と耳を赤く染めている。
「……あたしは、本当は嫉妬しているのかもしんない。ペルセポネに。あの娘はあたしの娘で、あたしの分身みたいで、本当にかわいくて、あたしみたいな”はすっぱ”にならずにさ……。『こんな女の子になりたかった』っていう願望を、ねぇ、詰めこんだの。あの娘を育てる時に。だからあの娘はあたしそのものなのよ」
「うん、うん」
ヘカテは相槌を打ちながらも、店員を呼んで大小入り乱れた空きグラスを片づけさせた。そして小さな声で水を注文すると、酔っ払いはつかさず「ちょっと! まだ飲むよ! ウイスキーロック!」と、乱暴に追加オーダーする。
運ばれてきた新しい酒は、薄い琥珀色。そういやペルセポネは琥珀が好きだった。地下の国では宝石が沢山採れる。冥王からいつも有り余るくらいの美しい宝玉を贈られ、その都度はにかむ彼女をヘカテは思い出した。
「――あたしね、あの娘はあたしみたいに生きてくって、あたしみたいに、結婚とか、そんなんせずに、このままずぅーっと生きてくって、信じてた。でもあの娘はあたしの知らないとこへ、あたしじゃない誰かとふたりで行ってしまったの。
……あたしはそれが出来なかったのに。
『愛娘を奪われて怒った』とか、言われてるけど、ほんとはそんなんじゃない。そんなんじゃないの。それもある、けど、本当は……あたし、違うんじゃないかって」

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