
ペルセポネ
大地母神デメテルの娘。ハデスに誘拐され、彼の妻となった。冬の間はハデスと共に過ごし死の国の王妃として勤めている。

ハデス
デメテルの娘を攫って自分の妻にした冥王。真面目に仕事するも、ストレスがたまりやすいところもある。

ヘルメス
伝令使の少年。地上と地下を行き来できる権能を持つ。おしゃべりの出歯亀。
「──寒い」
そう一言呟くと、少女はその華奢な肩に薄紫色のストールをふわりと巻きつけた。
一年中闇に包まれた、深い深い地下の国のお話。
たっぷり時間をかけて、ゆるくウェーブした長い亜麻色の髪を櫛でとき、あどけなさの残る幼顔に薄く化粧をする。色とりどりの宝石が飾られた沢山のアクセサリーを机上に並べ、一番のお気に入りの、アメジストのネックレスをつけた。石膏のような肌によく映える。大きな鏡の前で一通りの身繕いを終えた後、少女は黒いドレスを翻して自室を出た。
少女がこの宮で冬を越すようになってから、数え切れない年が過ぎた。それでも、この凍りつくような寒さには慣れる事ができない。春の暖かさの中で生まれ夏の日差しの中で育った少女である。地面の冷たさが直に響くこの地下の冥宮は、彼女にとってまるで氷室の中で暮らしているようなものだ。
それでも、今ではこの厳しい冷気を愛しいと感じる時すらある。
廊下の窓から空──と言っても、漆黒の闇が広がる陰気な空間を見上げ、ふと地上にいる母を思い、苦笑した。今頃、誰かさんへの恨み辛みを唱えているのだろうか。それとも……
「王妃様!」
突然の後ろからの声に、少女は振り返る。作業服の中年の男が立っていた。
「まだ朝早いですよ、どうしました?」
「……寒くて、目が醒めてしまって」
「あぁ、メイドに言っておきましょう、暖房をもっと強くするように」
「いいですよ、こんなにキンとした空気、嫌いじゃないんで」
「そうですか? 私は駄目ですね、手がかじかんで思うように枝が切れなくて。今も、あんまり寒いから屋内で一服中ですよ。マトモに働けやしねえや」
大きな剪定鋏を持ったその男は、だめだこりゃ、と大袈裟にジェスチャーして、愛嬌たっぷりに笑った。少女もつられて笑う。男はここに住み込みで働く庭師である。どんなに地位が上でもざっくばらんに接してくる。この男の他にも、ここには沢山の気のいい使用人や来客がいる。少女がこの宮の好きな理由のひとつだ。
「あのひとは今は……」
「あぁ、さっき『向こう』で部屋に入られるのを見ましたよ。自分と一緒で休憩中でしょう」
「そう、ありがとう」
軽く会釈し、少女は長い廊下を早歩きで進んだ。
それにしても、この宮は広い。ちょっとした城だ。この少女や庭師達の住む館と並んでもうひとつ巨大な建造物があり、そこと繋がっているため非常に広く感じる。
併設されている建物とは、いわば『裁判所』である。地上で生きた人間が一生を終え、その魂はこの地下の国に流れ着く。そしてここで冥王によって『魂の裁定』が行われ、その魂の行方が決まるのだ。『裁判所』は人間の魂達の臨時収容施設のようなものだ。『裁判』がスムーズに進むとは限らないし、また地上で戦争や飢饉、疫病の蔓延が起こるとその死者の数は膨大な数になるため、必然と『混み気味』になる。そのため、この建物は時折人間の魂でごったがえし、その度にどんどん改築、増築を繰り返したため、いつの間にかこんな大きな城に成り上がってしまった、という訳だ。
さて、少女は自分の住む館から渡り廊下を通ってこの城に入ってきた。階段を昇り、昇り、『あのひと』のいる部屋を目指す。動いていると身体が暖まって、やっとその部屋の前に着いた頃にはさっきまで感じていた寒さが気にならなくなっていた。
軽く呼吸を整え、ノックする。
「誰だ?」
低い男の声がドアの向こうから聞こえた。
「私です」
「……入れ」
少女はノブを回し、扉をゆっくりと開けた。

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます