
カッサンドラ
トロイア国の王女。昔アポロンと好い仲だった。予言の力を持っている。誰からも自分の言葉を信じてもらえない呪いにもかかっている。

アポロン
多くの女性と浮名を流す青年神。未来が視える。トロイア戦争では妙にトロイア側に肩入れしていた。

小アイアス
アカイア(ギリシア)側の将軍。アイアスという将軍が2人いるうちの小さい方。カッサンドラを襲い、アテナの怒りをかって死んだといわれている。
あたしは、どうやら襲われかけているらしい。
「我はギリシア軍の英雄アイアスなり! そなたはトロイアの王女カッサンドラとお見受けする、もう逃げ場はないぞ!」
ああイヤだ。陳腐な文句。知性がないわ、 知性が! 頭の弱そうな男って大嫌い!
「噂にたがわぬ美しさだ。さあ、隠れてないで出ておいで。痛いことはしないから!」
ぎゃー気持ち悪い! 吐きそう! 消えろ異国のエロオヤジ!
「アテナの神殿に逃げるとは、は! いじらしい姫様だ! だがお前の国も、従者ももう無い! 観念しろ、神にすら見放されたカッサンドラ!」
「……ンですって……?」
「おほっ、声もいい! さ、抵抗されるのも乙なもんだが、オジサンは結構短気なんだよ」
「今何て言ったのかを聞いたのよ変態オヤジ……!」
「ほぅえ?」
妙な感嘆詞が聞こえた後、あたしはアテナ像の影から、ドレスを翻してオヤジの前に踊り出た。髭面、テカった鼻、でかい腹、短い脚! うっわ、最悪。想像以上だわ。
「何ですって? あたしが何だって?」
「え……あ、『美しいカッサンドラ』」
「その後!」
「『いじらしい』……」
「その次!!」
「『神に見放された』……」
「それよ! そうそうそれよ!
そう、あたしが神に愛されて嫌われた女、トロイア王プリアモスの娘、カッサンドラとはあたしのことよ!!」
足を開き腰に手を当てて大声で啖呵を切ると、オヤジは一瞬ポカンと間抜けに口開けて、次にあたしを足の爪先から頭のてっぺんまで世話しなく視線を往復させて、呟いた。「ルックスと性格が合ってな……」
「やかましいッ!」
「ヒッ!」
「小娘に怒鳴られたくらいで怖じ気づくなッ! 情けないオッサンね!」
小娘とは自分で言ったけど、正直そんなに若くない。いわゆる『いかず後家』ってやつ。どこにも嫁がず、巫女職について、父様や母様、兄様達と20ン年この国を護っていた。
でも美貌は若い子には負けちゃいないわよ! 長い黒髪と琥珀色の瞳があたしの自慢。金の巻き髪に青い瞳、お人形みたいなヘレネ義姉様にだって負けてないって、ずっと思ってる。
あたしはトロイアの姫、カッサンドラ。高貴な女。死ぬまで、ずっと。
ギリシア連合軍とトロイア国の戦争は、トロイアの敗北で幕が降りるらしい。遂に今夜ギリシア軍が城内に攻めこんできた。この長年の栄光、富、すべて奪われる瞬間が訪れたようだ。城下の風上では既に黒煙が上がっている。非道な敵兵め、すぐに火の手は回って街は炎に焼きつくされるのだろう。もちろんここも危険だ。時間の問題。悠長にこんなところで押し問答してる場合じゃないんだけど、ね。
「――さて、アイアス将軍。あたしをどうするって?」
短足チビデブのオヤジは、あたしのその一言で我に返ったらしい。ニヤニヤ笑って、あたしに近寄ってきた。「ふ……ふふへへへ! どうしてやろうかなあ……! お姫様、この神殿に残っていた兵も巫女も、お前以外全員殺したよ。城は我々が制圧した。可哀想なお姫様は誰にも……」
「助けてもらえないのね」
「そう! 物わかりが良いねえぐひぇひぇ!」
汚い笑い方!
アイアスは少しずつ近寄ってきた。あたしも後ろへずり下がる。だって気持ち悪いじゃない!
「これからナニをされるか、お姫様はわかるかなあ……? あのねえ、ここにはワシとお姫様しか、いないんだよねえ……?」
品のない喋り方!
荒い息のアイアスは一気に間合いを詰めて、左手であたしの左肩を掴んで右手であたしの腰を触ろうとする。それを何とか振り払うあたし。
「だから逃げられないって! さ、鬼ごっこはもう止めよう」
「アイアス将軍!」
声を大きく張り上げる。それは寒々しいほど広い神殿によく反響した。
「……これから何が始まるのか、あたしが当ててあげましょうか」必死になって後ろに逃げるあたし。躓かないようにだけ気を払いながら。オヤジのいやったらしい微笑を睨みながら、そして口振りだけは冷静さを装って、一気に捲し立てる。「――あたしはこれからあんたにレイプされた後あんた達の総大将アガメムノンの奴隷にさせられて彼の国に行くんだけどそこでアガメムノンの妻クリュタイムネストラに殺されるわ。クリュタイムネストラは不倫してるの。不倫相手と共謀してて帰国したアガメムノンを浴室で殺すのよ。あたしもそれの巻き添え。
そしてあんたももうすぐ死ぬわよ。あんたは私を犯したら死ぬ。女神アテナの怒りを買って、あんたは溺死するわ」
アイアスの足が止まった。
「信じられなければそれでいいわよ。あたしは困んないし。ま、誰ひとりあたしの予言を信じなかった結果が、この戦争の結末なんだけど」
男は上がった息を整えもせず、改めてあたしを――さっきの情欲にたぎった視線ではなく、腫れ物に触るみたいないぶかし気な目つきで――見つめた。さっきのいやらしい手は、今や小剣の柄を握っている。
「……お前は何者だ」
「あら、知らなかったの? 有名だと思ってたんだけど。カッサンドラ姫には、呪われた未来予知の力があるのよ」

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