愛しのダーリン - 1/3

ヘパイストス

シチリア島に巨大な工房を持つ鍛冶神。醜い外見により産まれてすぐ母ヘラに遺棄されたが努力と根性で成りあがりヘラに復讐を果たした。ヘラにより授けられた妻がアプロディテだったが、離婚した。

アプロディテ

美しい美と愛の女神。なんとなくヘパイストスと結婚したが、己の不倫行為により別れた。離婚後も悪気なく連絡を取ってくる。


赤子の頃母親から忌み嫌われ棄てられた醜い鍛冶神ヘパイストスという男は、意外にも、ひとに慕われている。その一面が皆間見られるのは彼の弟子の多さからである。

神々の本拠地オリンポス山から遠く離れたエーゲ海の外海、あのブーツの形をしたイタリア半島のつま先の先にある、シチリア島。そこに彼の工房がある。地中海とイタリアの空、四方八方を青色に囲まれた美しい島である。この北東部にあるエトナ火山の麓がヘパイストスの工房。そしてそこに隣接する広大な敷地が、世界中からやってきた彼の大勢の弟子達の根城だ。

ひと嫌いを自称する当の本人に自覚は無いのだろうが、ヘパイストスは技術者の卵達の憧れであり、正真正銘のカリスマとして男達から尊敬の念を集めている。最高のクリエイターかつエンジニアであるヘパイストスの元には、その技術を盗まんとする徒弟志願者がいつも後を絶たない。ただし、弟子達は彼の持つ冶金の技術にのみ惹かれたのではないだろう。事実、数にして数百名、種族の垣根を越えて彼らが“修行”と寝食を共にし家族のように団結して切磋琢磨し合える源は、正に“ヘパイストスに仕えたいから”の一点なのだ。ヘパイストスはまず、鍛冶職人を目指す者なら誰でも受け入れる。そしてヘパイストスが弟子達に何をやらせているかというと、数多の神々から発注される武具の仕上げや、簡単そうかつ自分で作る気の起きない品の設計と製造。ヘパイストスは彼らに特別な教育を施さない。代わりに、時折彼らの前で自分の仕事ぶりを見せてやる。勝手に技を盗め、という事である。更に生活の面倒も必要以上に見ない。住居は与えるが、食事や衣類の調達以下略は丸投げ。お陰で広い敷地内には弟子軍団お手製の畑から食堂、コインランドリーまで至れり尽くせり。ヘパイストスの方から彼らにしてやる事は、たまに寄りつく酒神ディオニュソスの土産の葡萄酒の大樽を時々開けてやる事くらい。それも“弟子のため”というより“自分が呑みたいから”という利己的な理由でしかない。
端から見れば、ヘパイストスは師匠らしい行いを全くしていない筈だ。しかし真面目な職人見習い達は彼を尊敬してやまない。

「いやぁ、目標っつか、憧れっスよぉ! 漢の中の漢っス!」

「他のどんな神様よりカッコいいっス!」

「昔貰ったドライバーは宝っス! 黄泉の国まで持ってくっス!」

以上、弟子達の談。彼らはヘパイストスにこそ心酔し、ヘパイストスだからこそついていく。それは確固たる強靭な意志なのだ。何故かはわからない。少なくともヘパイストス本人は全くわかっていない。でもまあ、慕ってくる者を無下に追い返す事もあるまい。裏に何か思惑があるのかもしれないし、打算的な理由があるのかもしれない。まあ、どうでもいい。その時はその時だ。

傍ら、盲信的な弟子らは師匠のやる気の無さなどお構い無しに毎日“偉大な師匠”を目指して情熱を燃やしている。

こんな日常。

さて、そんな忠実な弟子の軍団に、またひとり新入りが増えた。しかしこいつ、曲者だった。ヘパイストス、弟子達のリーダー格から連絡があったので渋々聞くと、今日来た新人の中に直接面会してもらいたい者がいる、と。見ればわかる、“緊急事態”なので判断を仰ぎたい、と。

1つ目巨人だの半身半獣だの、世界でも類を見ないほど有象無象の集まった群れのリーダーがそこまで言ってくるのなら、面倒くさいが動かなければならない。だからその“緊急事態の新人”とやらを直接自室に呼びつけた。木偶の脚を動かして隣まで歩くのすら面倒くさかった。内線でそう伝えると、間も無く部屋のドアがノックされた。

「失礼します、入ります」

その声を聞いた途端、ヘパイストスは直感で“ああ、余計面倒くさい展開になりそうだ”と悟った。そしてこの予感は後に的中する。

入室してきた新入りの声は綺麗なソプラノだった。

……女性なのだ。

***

『はぁい、元気ィ?』

「……アプロディテ。何?」

元妻は、自分の不倫が原因で離婚したその後にも、こうやってたまに彼の自室に電話を入れてくる。何を思ってかは知らない。何も考えてない、ただ暇なだけなのかもしれない。そう言えばもう夜だ。どうせ、今夜の床を共にする男がまだ現れていないのだろう。

ヘパイストスはコードレスフォンを耳に当てながら今まで大音量で鳴らしていたステレオの電源を落とし、椅子に腰掛けて机に足を乗せて随分横柄な態度で彼女の声を受け入れる体勢を整える。机上は……いや、その部屋全体が散らかり放題だった。汚れたコップが陳列し、開いた窓の外には夜になっても取り込まれる気配のない洗濯物。しかし棚に飾られるお気に入りの本や模型には微塵の埃すらついていない。いかにも“男の独り暮らし”といった雰囲気。

『覇気がないわねぇ。原因当ててあげようかしら。ずばり女難の相ね』

「ひとの顔もろくに見ずによく言いますよね」

『どう? アグライア。うまくやってる? ああ、あの娘もともとあたしの侍女だったんだけど』

いきなり出た女性の名に彼は一瞬詰まり、そしてすぐに平静を装って早口に捲し立てた。

「……貴女の差し金ですか、彼女。どうしてくれるんですか。うちの男衆が色めきだってるんですよ。早く連れて帰って頂きたい」

今日の朝に面会した新入り希望の女性は、細くて小柄な、少女と言っても通用するほどか弱そうな体つきで、クセの強い赤毛を2つくくりしているので頬のソバカスが丸見え。両手で持つ大きな鞄の方が質量があるように見えるくらい。

前述の通り、来る者拒まずを信条とするヘパイストスだが、こればかりはノーと言う他ない。そしてあからさまにはっきりつきつけた。弱々しい女の働く場所じゃねぇんだよ、帰りなさいお嬢ちゃん、と。

しかし彼女は意外に手強かった。ヘパイストスが一日ずっと頭を抱えてしまった要因が、これだ。

『”私、ヘパイストス様にずっと恋してたんです! 好きです! ヘパイストス様と一緒に働きたいんです!”――って、あの娘に言われたぁ?』

「そうそれ。言われた。」

……追い返すどころか突然愛の告白をされてしまったのである。

「アプロディテ、おたくの侍女はお転婆すぎんじゃないですか?」

『女の子は貴方のお友達の仲間に入れてあげないの?』

「当たり前です。あんな細っこい女の子に鎚振るわせませんよ。炉の前にすら立たせません。あのね、ウチの業務知ってんでしょ。背丈もいる力もいる体力もいる、それに危ないんですからね。火傷の痕が残ったらどうするんですか。もー、俺がこんこんと説明したらしたで“それなら清掃係します!”だの“コックになります!”だの“いっそ嫁になります!”だの。一向に折れないんですけど、彼女。えーと、」

『アグライアよ』

そうそう、と彼は溜息をつきつつ力無い声でぼやく。

「今は飯食わせてうちの空き部屋を貸してます。男衆と一緒に寝泊まりさせるわけにはいきませんから。明日貴女が迎えに来てやって下さい、あんたらの恋愛ごっこには付き合えません」

『いや』

と一言、アプロディテはヘパイストスの嘆きを軽くはね除ける。

『あたしがあの娘を迎えに行く義務は無いわ。彼女が貴方の元へ行くって自分で決めたんだから。あの娘本気なのよ。真面目で健気で素直なニンフの娘よぉ。ちょっと無鉄砲だけど。あたし達が夫婦してた頃からずっと貴方を好きだったらしいの。あたしに仕えながら、ね。でもあたし達すぐ別れちゃったじゃない? だから袖を濡らして圧し殺してた貴方への恋心が我慢できなくなって、遂にうちを飛び出しちゃった。よく働く娘よ。趣味はお部屋のリフォームで……』

「余計なお世話は間に合ってます」

『少し似てない?』

「何が」

『アグライア。あの鎧かぶった貴方のお気に入りの処女戦神サマに。どぉう? 叶いっこない禁忌の片想いよりかはずっと実る確率高いんだから、アグライアに乗り替えちゃえばぁ?』

これには我慢できず舌打ちし、受話器を耳から離そうとしたその時『電話切らないで。逃げるの?』との追撃が。

――元妻は何でもお見通しらしい。

送信中です

×

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!