ないしょのおはなし、ひかりのむこうがわ - 2/4

「ヘパイストスといると落ち着くな」

窓のさんに肘をついて煙草の煙を屋外にくゆらせているヘパイストスが、横のアテナの方をゆっくり見やる。彼女はその窓に腰かけて、脚をぶらぶらさせている。

「お前以外の奴等は、いつもいつもニャーニャー猫みたいに盛って喚いて、やかましくてたまらん。どいつもこいつも頭に血が昇りやすくて自己主張だけはご立派な体裁で気まぐれで、寄って集まりゃお祭り騒ぎだ」

「そのやっかましい集団猫の大ボスが何を言う」

彼女は非常に憮然とした表情を浮かべ、何か言いたげに口を開けたはいいが言葉が続かず、結局は、ふうっと息を吐き出して肩を落としただけに至った。「反論できませーん」

「素直でよろしい」

開け放した大きな窓からは冷やっこい風が部屋に舞い込んでくる。特に会話が弾んでる訳ではないが、互いに無言でも気まずくならない。そんな関係。

「あ、さっきな、エロスが来たよ、ここに。」

「ひとりで? お前に会いに?」

「いや、ヘルメスに連れてきてもらってさ」

ここはシチリア島のエトナ火山の火口に近い。ひ弱な坊やが独りで来るには危険なのだ。

「よく来るよあのガキ。で、決まってな、不安そうな顔で『ぼく、ここに来ていいのかしらん』って俺に聞くん」

「ぶっ! え、保父みたいだな、お前」

「あんなあばずれたガキの世話なんか頼まれてもやらねーよ」

「満更でもないくせに。私は知ってるぞ、お前は斜に構えたふりして意外と世話焼きなんだ。私が『猫のボス』ならお前は差し詰め『犬のお巡りさん』だ。にゃんにゃん泣いてる迷子の猫を放っておけない律儀で苦労性の、イヌ」

今度はヘパイストスの方が不満気に口をぱくぱくする番だったが、彼はわざとさっきのアテナの口ぶりを真似て、「『反論できませーん』だったけ?」

「うっわ腹立つ」

ヘパイストスはアテナの抗議にケラケラと笑い声を挙げて、煙草の灰をひとかけら灰皿に落とした。会話が途切れ、外で鳴く虫の声がやけに響き出した。

「……あのチビ見てると、さ。ちっせー頃のアレス思い出すわ。よー似てる」

少し間を置いて、アテナが、へぇ、と興味なさげに呟いた。

「でっかい頭振りながら一心不乱に俺の手元見てんの。ある日俺がちっちぇー果物ナイフこしらえてやったらさ、めちゃくちゃ舞い上がって親らの前で自慢しまくったらしくて。でも調子に乗って振り回してたら、やっちゃったんだよな。ひとに怪我させやがって。母さんに切り傷つけた、『剣』を取り上げられた、とか言って、その日のうちに大泣きしながらまた来てさ、俺に何て言ったと思う?」

「……さあ?」

「『次は母さんに怒られない剣を作ってくれ』って。そういう問題じゃねーだろ馬鹿野郎! って、次は俺から説教されてやんのアイツ。それから後、ちゃんと返してもらって、今度は大人しく桃剥いてたと。ガキはキツめに説教せにゃならん。ま、怒鳴ったところでどう育つかはわからんがな。アイツが今使ってるあのレイピアも俺が拵えてやったやつだ。昔に。あのバラガキ、律儀にまだ愛用してくれてるよ。そーいや『物を大事にしろ』とも言ってたな、俺。今は自分で研いでンかな、ちーとも顔見せやがらん」

「……お前、今日は饒舌だな」

「ヘルメスと喋ってたからな。うつったんだろ」

煙草のけむりがドーナツの形になって、彼の口からぽわんと出て蛍光灯の光る天井へ昇っていった。

そう言えば、ここは明るい。夜なのに、電気の光も火の光も絶えない場所だ。

自分の及ばない技術をヘパイストスは持っている。まるで魔法使いみたいだ、とアテナはいつも思っていた。

「……何かあった?」

短くなった煙草を灰皿に押しつけながらヘパイストスが訊ねた。口調は至って軽い。

「……あのさ」

「うん」

「私とアレス、ふたりの軍神。何故軍神がふたりもいるんだろうな?」

「さあ。たまたまじゃないか?」

何気なく答えるヘパイストス。ふと視線を下に流すと、アテナの手が、スカートの裾を握りしめている。

(……また誰かさんと言い合いでもしてきたな)

大人びた顔で子どもくさい所作を無意識に行う彼女。積み上げられたパブリックイメージより本当はずっと頼りなくて不安定だということをヘパイストスはよく知っている。

男勝りの逞しい『王子様』なんかじゃじゃない、そう見せかけているだけ。彼女は昔から『ただの女の子』だ。

「アレスが、私が軍神なのは父上の意思だって言った。父上が決めたんだと思う? 自分の都合のために私とアレスを軍神にしたんだと思う? 私は父上に、軍神になるように『プログラミング』されて産まれてきたのかもしれない。そういえば、私が産まれ出た時、鎧を着ていたじゃないか。それはつまり、初めから私が軍神になるというのが決まっていたということではないか?
私の『護りたいから戦う』という意思はそこにはない。最初から、産まれる前から決まっていた。そして私とあいつが憎しみあうことさえも」

「なあアテナ……」

「お前は時々不安にならないか!?」

急にヘパイストスの方を向き顔を近づけてきた。整った――整いすぎてもはや機械的と感じるほどの――顔を間近で捉え、ヘパイストスは少し横に避けようとしたが足が上手く動かない。(この木偶の坊め)と内心うそぶく。無用心に近づくんじゃねえよ、反応に困るだろうが。

「私は時々不安になる。なあ、私達は『自分達が何者なのか』全く知らないのではないだろうか。神って何だ? どこから来てどこへ行くんだ? 人間がどこへ行くのかは知っている、ハデスの国だ。そして彼らはそこで少しずつ土となり新たな生命を育む土台となる。人間は、生命は皆、母なる大地から産まれて還っていく。でも私達はそうじゃない。神とは、何なんだろうか? 何のために存在しているんだろうか?

さっき、私は『護りたい』から戦うと言った。でも、もし『私の加護が必要にならなくなった』ら私は、どうすればいい? 『神が人間から必要とされなくなった』ら、どうなるんだ?」

アテナは息もつかずにまくし立てる。吐き出したくて吐き出したくてたまらなかったようだ。言っていることの意味は支離滅裂で、ぼんやりした不安をただそこにいる彼ににぶつけているだけに見える。そして彼は、どう反応していいか決めあぐねているようだった。

また新しく煙草を出して、マッチで火をつけて喫う。片手を上衣の大きなポケットに突っ込んで。ポケットの中入っている小さなネジやギアを指でいじりながら、言葉を選んで、ゆっくり口を開けた。

「……神と人間の違いって、何だと思う?」

「不死であるか否かだ」

「……俺達も『いなくなる』よ。遅かれ早かれ。死んじまうのと似たようなもんだ」

「どういうことだ? 死ぬのか? でも、さっきと言っていることが違うぞ。お前は、神は不死であると言った。メディと私達は違うって。それに実際私達は不死身ではないか」

「そうだ、生命活動の停止という意味では死なない。しかし、そのうち確実に『消えてなくなる』」

「意味がわからない」

「人間を作ったのは誰だ?」

「……プロメテウス神が作った」

「本当に?」

アテナは少し絶句して、言い返す。「本人に聞けばわかる。それに、お前だって。人間の女を作ったのは正真正銘、お前だろうが」

「本当に俺なのかな?」

アテナは少し気味が悪くなってきた。「何を言って……自分のしたことじゃ……」

「俺には実際に人間を作った『思い出』はある。でも実感が全くない。人類誕生が俺のやった所業とは思えない。記憶はあるのにそこにはリアリティーが全くない。あまりにも昔のことだから忘れかけてる、と言ってしまえばそれまでなんだが。

時々こう思うんだ。神の俺達は、俺達が世界と人間を作ったと考えている。

でも、本当は、反対で、

人間が神を創造したのではないだろうか?

……って」

「……何を……」

「狂ったと思うか? や、忘れてくれ。ただの戯言だ」

「もっと詳しく」

「やめろ。妄想だ妄想。馬鹿馬鹿しい。この話はもう終わろう」

「ひとつだけ聞かせてくれ! 『神が死ぬ』と、そんなこと考えてるのはお前だけか?」

この質問にだけはヘパイストスは、少し考えて答えた。

「……予言の力を持つ者とギリシアの外から来た者は、知っているだろうな。俺はなんとなくわかった。俺ァ、神様方とツルんでるより他の外の奴らといる方が多いから。神以外の連中と時間や生活を共有してると、そう思えることが、時々ある。
ああ、もうやめだ。やっぱりやめとけばよかった。この話はここだけの話だ。誰にも言うな、忘れろ。いいな」

そして彼はだんまりを決め込んだ。『触れるな』と言わんばかりの刺々しい雰囲気を漂わせて。

幾度めかの沈黙。

男が大きな息で、煙を吐き出した。

「……スープでも飲むか? 今日ガキふたりに食わせたのが残ってる」

気を遣っての一言というのがありありと滲み出ていた。が、意外な言葉に思わず頬が緩むアテナ。

「お前、料理するんだ」

「ナメんなコラ。おじょーさんあのね、アフロディテとやってたおままごとみたいな結婚生活の中で、朝昼晩、俺が全部あのワガママの食事の面倒みてやってたんだからな。アフロディテについてきた女中達は『こんな煙草とオイルとグリス臭い屋敷に住めるか』って辞表置いて逃げやがったし、あの女は何もせずに寝てるか化粧するか風呂入るか飯の催促するか、だからな」

「へー……器用だな、さすがだな。私は料理はからっきしだ」

興味津々の視線で目の前の鍛治男をためつすがめつ不躾に見つめるアテナ。

と、彼女の目線が止まった。彼の目元。

「……料理する時も、アフロディテといた時も、そのサングラスは外さないのか?」

そう、ヘパイストスは四六時中大きな色つき眼鏡で顔を隠している。アテナが彼の素顔を知らないくらいに。

「ファッションにしてはいささか野暮ったいと思うぞぅ。お前の顔に大きすぎるんだ。それでは表情も見えない」

こころなしか彼女から顔を背けて、二本めの煙草を灰皿でぐりぐり潰すサングラス男。

「なあ」

「…………」

「…………ていっ」

「あ゙っ!」

彼女はいきなり横から彼の眼鏡を、素早くひったくった。ちょっとした意地悪のつもりで、軽い気持ちだった。

しかし彼の素顔を一目見た途端、彼女はこの軽率な行動と、これでもしや彼を傷つけてしまったのでは、と後悔することとなる。

「……!」

咄嗟にアテナの方を向いた素顔のヘパイストスと正面から見詰めあうかたちになった。彼女は顔が強ばっていくのを止められない。

彼の顔は、焼け爛れたように崩れていた。

「……昔、鍛冶場で大火傷した。その痕だ。怖いだろう? 気持ち悪いだろう? 俺だっていい気はしない。だから、夜でも室内でも、顔隠しのサングラスは絶対に欠かせない」

赤色の痣に不自然に寄った皺。水疱なのかケロイドなのかわからないでき物がぽつぽつある。片目はほとんど開いていない。眉毛もまばら。

「元々醜悪なツラがもっと醜悪になっちまったってこった。悪いな、こんな見た目で」

自虐でもなんでもない、彼の本心の言葉だった。

「……返してくれる?」

ヘパイストスは手をアテナに差し出す。その手も酷く荒れていて、皮の剥けた痕や割れて変形した爪がアテナの目に否応なしに映ってくる。まったくヘパイストスは、鍛冶作業の苛酷さがそのまま染み込んだような風体だった。ずんぐりむっくりで、そういえば耳も若干遠い。肩から腕の筋肉だけがひどく発達しているのがアンバランスで、『生まれつき醜い神』は、生きていく中で『ますます醜くなる神』となっていた。

アテナは、居心地悪気に眼鏡を渡すと、その黒いレンズに一瞬だけ自分の顔が映った。目の前の男に怯えている青空色の瞳が。

「……ごめんなさい」

「うん? どうした、畏まって。いつものお前らしくない」

ヘパイストスは何も気づかない風に、彼女の手からサングラスを受け取っていつものように顔を隠した。いや、彼だってわかっていた。わかっていて気づいていないふりをしていた。

自分の容姿に向けられる無遠慮な視線には慣れたつもりだったが、やはり少しは傷つく。

「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい」

「……いいって」

だがここで、やはり露骨に顔に出すと、今度はこの彼女が傷つく番なのだ。彼女は醜男に嫌悪の視線を送った自分自身を恥じて、後悔している。泣きそうな顔で、子どもみたいに頬を膨らませて、そんな彼女に自分がするべきこと――否、『してあげたいこと』は……

「……アテナ、夜が更けてきた。
どうせ黙って抜けてきたんだろう?パルテノンの侍女が捜してるんじゃないか? もうそろそろ、帰りなさい」

「あ、あの、あの、その、」

「……『また来る』んだろう? 『またおいで』」

口の端をキュッと上げるだけの笑顔で、彼は彼女を――赦した。

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